野田首相がTPP(環太平洋連携協定)に参加表明した11月11日。
ライムケーキを畑に撒くことに決めた(ライムケーキ散布はうちだけのはなし)。
二つの事柄、関係ないようであると思う。
ライム(LIME)=石灰 ケーキ=その塊状のことをさすんだと思う。
このライムケーキ、砂糖をつくるビート工場からでる副産物だ。
ライムケーキとは?(独立行政法人農畜産業振興機構文章参考)
てん菜から抽出された糖液の中には、砂糖成分以外に有機物や色素等が含まれている。糖液から砂糖の結晶を効率よく取り出すために、あらかじめ糖液内のこれらを除去しておく必要がある。除去する方法としては石灰石を焼成した粉末と炭酸ガスを製造ラインの工程に投入し、吸着させて取り出している。これを脱水したものをライムケーキ(炭酸カルシウムが主成分)という。
要は炭酸カルシウム(カルシウム38%)とほぼ同様の成分ライムケーキ(カルシウム32%)で立派な肥料である。これを土壌のpH改善や作物のカルシウムの補給に 利用する。
予め土壌分析しておき、目標とするpHやカルシウム割合(土壌中の)までのライムケーキ投入量を計算する。かつ来年度に向けての土作りの一環となる。その昔はベトベトのとても利用しづらいものだったらしいが、現代では均一な火山灰のようなサラサラとした状態だ。これを製糖工場から各圃場で10tダンプで運び、専用の機械で散布する。
今年は7圃場が対象畑だった。
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SRU(ソイルリサーチユニオン)では土壌のバランスを重要視しているため、石灰だけの投入だけでなく、マグネシウムや微量要素も考慮しなければならない。また、作る作物や土質によっても投入量を気をつける必要がある。軽い砂っけの多い畑は有機物も少ないため、いきなり畑が変わってしまう可能性もあるからだ。
また機械や粉末状の特性と作業準備期間、畑の状態と次年度までの肥料の浸透を考えたとき秋口に今年はなった。早速タイヤショベルでライムスプレッダー(機械名)にライムケーキを積みこみ、散布。
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この機械は堆肥散布する(マニアスプレッダー)の改良版だ。
均一に約3.5~4m幅くらいで散布できる。
TPPとの関連は?というとビートは従来から政府干渉作物だ。
もともと終戦後、甘味料がないことからビートがヨーローッパから導入され今日に至っている。
関税率も高く、今回のTPP参加によりビートの今後は危うい。
TPPの問題点は正直わからない。関税撤廃によって困るのは農家だけでなく、第一次生産をしている市町村なら少なからず影響はある。特に北海道はその代表格だと思う。でも政策は国の方針だ。どんな政策も一長一短ある。
議論つくされることもないと思っている。
重要なのは、こういう体質から独立していかねばならない重要な過渡期として具体的に何をするかだと思う。
ただ、ビート産業がなくなれば地域の雇用や生活に大きな変化がおきることは間違いない事実だ。このライムケーキも非常に安価で優秀な肥料(土壌改良剤)だから、この先手に入らなくなればかなりの痛手になる。
北海道は日本唯一の甜菜生産地だ。お砂糖の故郷”北海道”が故郷じゃなくなる日がくるかもしれない。しっかり作って、しっかり食べてもらい、しっかり畑に循環させる、そういう取組は今後も必要だと思いながらトラクター作業するのでした。
カテゴリー: 農業経営
暗渠は自らの手で!!
“暗渠”という聞きなれない言葉をしっているだろうか?
農家と土木現場の方ならご存知、畑の排水パイプの施工のことだ。
土の中は暗いということで、暗渠になっているんだと思う。
秋まき小麦を撒こうと予定したていた畑がぬかるんで入れない。
ということで暗渠になった。
通常は国の制度を使ったりしてやる大規模施工になるのだが、距離も範囲も短いため、自分達で行った。
東中の畑の東側入口付近。15cmの塩ビ管を約60mの分岐、7か所。
落ち口は明渠から20cm高。深さ約190cm
スタートは約120cmくらいだ。
暗渠施工の方法
1.水の落とし口と深さを決める。明渠ギリギリだとあとでパイプがつまる可能性あり。
2.一直線に集水管の位置を決定。スタート位置の深さも決定。
100cm以上はないと、サブソイラや冬場の凍結でパイプが上がってくる可能性あり。
3.ユンボで道付けし目印にして、ひたすら穴掘る。これはベテラン技が必要徐々に傾斜にするため。
4.暗渠管施工、分岐管も入れる。分期間位置きまれば、その分の穴掘る。
5.暗渠用のビリ砂利を暗渠パイプを覆うように50cm高さくらいまで入れる。
この時、深さ位置を決めるのにカラースプレーで色つけると作業しやすい。
6.砂利をならしたら土入れ。あまり粘土の強いものはいれない。
7.ユンボやブルで鎮圧して完了。
といろいろあるのだが、要は大人の真剣な砂場遊びみたいなもの。
ダムを作ってそこから水をどう流すか、それのおおがかり版だ。
農林水産省の事業費用の中でも、こうした基盤整備事業はかなりの金額になり、これで土建業者も成り立っているところもおおい。がしかし、その施工までは早くても、2~3年はかかる。補助事業がなくてもやらないと、来年の作物が目に見えるように悪化するのは間違いない。
待ってられないときは、自分でやるっきゃないのだ。
といいうことで、9月26~29まで2~3人でやり遂げた。
水よ流れなされ~~~
20年は暗渠が生きていてほしいな~~。
やっぱり温暖化?
平成23年(2011)はやっぱり暖かい。
特に最低気温はどことなく温かく、ビートの生育もすこぶる順調。
どころか順調過ぎて伸びを抑えるのにどうしようといったところだ。
昨日、天気の見かたの歴史が変わったことが判明。
気象庁が10年ぶりに、、都市の平均気温をより近況に近いことに決めたのだ。
それよると、
帯広市はこうなる。ただ最近は、十勝管内でも地域別のゲリラ豪雨だとか突風があるので一概にはいえない。、
ほんべつ町も平成21年のような冷害、大雨害をのぞけばほぼ沿っている気温になると思っている。
(1971年~2000年と比較して)
1.年平均気温 6.8℃ (0.3℃上昇、温暖化?)
2.降水量 888mm (雨は少なくなっている傾向だが、ゲリラ雨がおおくなっているような・・・)
3.日照時間 2033hr (”十勝晴れ”ますます実証!)
4.降雪量 201cm (10cm以上少ない。確かにふってないもんね)
6.冬日 155.9日 (ほぼ変わらない。でも冬日数が少なくなっているわけではなく↓)
7.真冬日 55.7日 (2日少ない、11月から3月くらいまでを測っているのかその期間に超寒い日が2日も少なくなっているのは凄いことだと思う。むしろこれが、平均気温を押し上げる要因になっているんじゃないかな)
8。猛暑日 0.5日 (過去と比べてもほぼ変化ない。しかし、平成22年(2010年)は歴史上の発猛暑年となった。10年後、この発表データが更新されるとき、この日数は注目℃100%。地球の悲鳴に見えるかも知れない。
ということで、農家はどうするのか?
一昔とは気象状況は違うと認識したうえで、農業をするしかない。
でも、集中豪雨や猛暑対策。どちらも対応できる土つくりが大切なのも今までと変わりなく重要だ。
5年後の枝はらいストーリー
キツネも凍える午前7時。その音は冷たい空気を割いて鳴り響く。
“べべべべべべべ、ウァンウァンウァ~~~ン”。
チェーンソーを担いだ青年達が枝を払っている。
なんでこんな寒い中?=お仕事だからです。
今冬のメインイベントともいっていい仕事。防風林の枝はらいだ。
防風林はその名も、作物から強風を防ぐためのもの。
しかし、枝の伸び放題は、作業や日蔭の問題がでてくる。
そこで全圃場を徹底的にやった。
かれこれ2週間以上にわたり・・・・。
写真では普通?に感じる化もしれないが、トラクタの傷、ミラーの割れにつながる。
しかも、あの木の柔軟性。しのってビンタでもされたら大変に痛いし、泣きたくなる。
きれに、枝を拾うのも重要なこと。
いざ作業の時に枝が機械に詰まって、豆の種がとびでたり、鎮圧がうまくいかなかったりとなる。
枝があったら、人間つまずくのと一緒だ。
きれいに、昔流行った女子のキノコカットができた。
約5年間はこれでもつ。床屋さんが5年に一回みたいなはなしだ。
ハヤ~~~これはやってしもうた。小さな木の切り株が鋭利なトゲに。
案の定、切り株にタイヤをさしてバースト。これは高くついた。反省・・・・。
これは素人ならやってしまうミスだ。小さい木ほどしなりがあり難敵になる。
チェーンソーはこういうものが意外に扱いにくい。
太いのは”なんでもベテラン松本さん”が仕留めにはいる。
V字に受け口をつくって、追い切り。”たおれるぞぉ~~!!”
木が倒れる時の音はなんともいえない。
張りつめた空気を引き裂く。
“シューーーーーーーーーーっ、ド~~~~ン”
この枝はらいは、
① 風から作物をまもりつつも、太陽の光を少しでも多く。
② 機械破損がないように準備。
③ たのしみな秘密がいっぱい(後日発表)。
という役目でした。
日本の森林が荒廃してるって、簡単にいえば散髪せずに、ボサボサでフケだらけみたいなこと。
木が育たなければ、森はそだちませんよね?
こちらもどうぞ宜しくお願いします。
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おめでとう!日本農業技術検定合格!!
先日、当農場に嬉しいお知らせがきました。
スタッフのリュウジ・ヒロセくん両氏が、日本農業者検定3級に合格です!!パチパチパチ~。
おめでとう!
この検定は、二人がお世話になっている政府の”農の雇用事業”の一つのプログラムの中の一つ。
一般的な農業者知識をつけるという意味でも、こういう検定もありかと思う。
もちろん現場のほうが、数倍覚えることはおおいのはもちろんだが。
彼らには昨年一年様々な作業免許も取ってもらった。
農業はかなりの幅の職種が混在する。感ではない作業手順や安全への認識を今後ももってやっていきましょう!
肉体労働が多い中でも、”やればできる!”自分磨きを今後も続けてほしい。
BREAK DOWN!
1月に入り、新体制を組まなければならい。
“できることからやる!”以前からの引き延ばし案件は必ず処理する!と心に決めていた。
去年の3月から作業入り、それからシーズンインで延ばしに伸びていた。
今年初めの仕事は、”ぶっ壊す!”ということから始めた。
そう、あのお世話になってきた休憩小屋を解体する日がきた。
建物自体は50年近くになる。昔は泥に藁(わら)を混ぜ込んだ土壁できたものが多いが、家のは其の当時としては画期的な家だったと思う。
なんせモルタルがはってあるだけ!!もちろん断熱材やガラスウ-ルなんて入っていない。
今ではありえない家というより倉庫だと思うが、皆でこれに肩寄せ合ってすんでいたのだから昔の人はタフで凄い。
写真で見る通り、途中で壁の色が変わっている。
これは両肩口おろしの屋根を途中から、片方の肩口にリフォームしたものだ。
理由は簡単。雪の問題。前の母屋と両方の落雪が問題になる。
しかも突貫工事でやったらしく(もしかすると耐震の関係と断熱効果UPのため、のこしたのかもしれない))そのまんま屋根の木材をかさ上げした感じだった。
この建物、500mくらい離れたところから、トラクターで引っ張ってきたそうだ。
木材を建物下に当てて、”ズズズーなのか、ガリゴリっなのか”砂利道をきたようだ。
実際にきたのは37年前くらい。
凄いのは、コンクリートのベタ打ち(基礎のコンクリート固め)を自分たちでその当時はやったらしい。
実際に水平を保てるよう、若干の補正部分がうかがえた。
それに水際対策もされていて3cmほどベタが家枠の分だけ、かさ上げされていた。
その甲斐あってか、地べたに密着している部分以外はほぼ腐れがなかった。
“ほほ~ん!昔も皆知恵使ってたんだな~。”と壁(タイガーボード)をはがすと当時の製材された木材がでてくる。
やっぱり、不揃いなものも多く(というより廃材利用もあった様子)、カラマツ(北海道を代表する針葉樹)の皮つきの製材されたものも中にはある。
自宅⇒援農さん(パートのおばちゃんや農大生)の休憩小屋、実習生の住居、漬物小屋、年末恒例餅つき、ゆでトウモロコシのシンジケート?といろんな役目を果たしてきた小屋。だるまストーブで暖をとり、ああでもこうでもないと雑談が弾んでいたに違いない。
その役目もだんだん少なくなり、作業機械の大型化によりスペースが必要になるのもあって解体をした。
実習生の部屋の時は、ユニットのお風呂。きっとこの風呂でも農作業の疲れをいやせられたに違いない。
鉄、モルタル、アルミサッシ、タイガーボート、木材に分けて解体した。
当時はどのくらいかかって、作ったのだろうか。壊すのは一瞬に近い。ものの一週間かそこらだった。
ユンボで最後の雪下ろし。
水道、灯油管をやっつけないように、ベテランスタッフが解体。
自分達の愛着のあるものを処分するのは気がひける。
でも新しい何かをつくり上げるのに必要であれば、壊すのも捨て去るのも重要だ。
思い出だけ大切にして、ありがとう!!
また集いの場所は創ります。
すっかりきれいになりました。
天変地異
前回のブログで日誌にふれたが完全なる脱線です。
というのは、今日のことを伝えたかったから。
ようは切り取り記事の比較ができるからです。
何度かお伝えしている通り、振り返ってみれば2009年は記録的大雨。
一方、2010年は猛暑で歴代1位とか2位とかの月がある。なんか正月の箱根駅伝の区間新記録みたいなかんじだけど、相対的に温度レベルが上がっているのは間違いない。シーズン中や現在の冬を感じててみても朝晩(最低気温)の極端な寒さというのがないような気がするし・・・。世界では大洪水も多数発生しました。
どうもこれは日本中のことであって、歴代No1の暑さだったようです。しかも死人も多数ですし、野菜は高騰の大惨事になりました。
まったく正反対のことが、2009年、2010年は記録的に起こってしまった。
これは凄いことだと思いませんか。直近の2年で起こってしまったということ。
そういう周期ならまだしも、人間が自然をぶっ壊し続けてきたから?と思うと止めようがない感じがします。
世界でも穀物争奪戦で水資源の確保も重要な戦略のようです。
日本が瑞穂の国といったのは、日本人なんでしょうけど外国から見ても素晴らしくその瑞々しい生活は羨ましいでしょうね。畑にありすぎてももちろん害ですが、上手く共存する必要性はこれから大ありです。
毎年一年生農家ですが、気象変動にもまけない土づくりの追いかけしかないのかもしれません。
天気に人間技で対処できることはすくないのかもしれませんが、これからの天変地異と共に(決して仲間にはいれてくれないけど)やっていくしかありません。
The road of the Nooka
自慢ですけど、2001年のシーズン初めから作業日誌をつけている。
といっても、もちろんアチコチとびとび。最初の2001、2002年はほとんど書けてない。
2003年に社長に、「去年教えただろ?これやっとけ」と言われて気づいた。何も覚えていないことを・・・。
体も覚えてなければ、頭は空っぽ。2年間の記憶が完全に消えている。
何の気なしに仕事してみても、「はてどうだったっけ?実際こんなことやったっけ?と?????」の連続。
これじゃヤバいと2003年から大かたは日誌をつけてきた。
途中パソコンにも浮気したが、やっぱり駄目。
パソコンを立ち上げるあの時間、そしてフリーズとポシャッタ時のあの絶望感。最悪だ。
しかも、何よりも比較がしにくい。知りたいのは過去。どうすりゃいいんだ、これ?と悩んだ。
やり方がわかればPCもいいんだろうけど所詮、肌に合わないのだ。
というより、どうせ”俺はアナログが一番!”だと気づいた。
ハイテクよりローテク。書いた字をみても、文章の内容見ても気合いが入ってる、眠ってる?(自分でも読めない暗号のような文字が時々・・・・)といろいろ。
そして何よりも、時事の新聞記事をベタベタはりつけて、実際に自分の失敗なのか、天災によるものなのかを比較できるのも最高にいい。
私のお勧めは農家の定番”3年連記の営農日誌”A4サイズだ。じゃ~ん!
監修は北海道農業協同組合中央会。発行は株式会社エーアイピー農文協と関連性ありありのものだ。
なんといっても優れている点は?
1.たった5行の書きスペース。言いたいことは5行にしなさい!!!と強制的。
2.タフな外見(なんていうのかな?厚紙で覆われてる)=ベタベタ新聞記事をはる私には丁度良い
3.その名のとおり3年一目で”バっ!!”ってわかる。
4.その戦記のような外見に1人優越感に浸れる!(自己満足の強い方にはお勧め!)。
新聞記事でハンバーガーのレタスのような日誌なる。超オリジナルだが味わいは深い!と勝手に満足できる。
2001年から20012年までで4巻。
65歳までやればあと9巻。全13巻の物語。
しまった~2007ー2009は予約し忘れて別なのを買ってしもうた。
つまりは3年に一度きりの取りまとめによる予約販売もの。
昔のマンガ単行本を集める気分に近い。
でも13巻で終わりか~。”こち亀”って凄いな~と思いつつもう一つ気づいた。
はて、他に誰読むんだべ?
まっイッカ~”ケイゾクハチカラナリ”ともあるし。
チャレンジ29!!
新年明けましておめでとうございます。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
昨年(平成22年)は歴史上に残る年でした。
通常なら、不作=冷害という方程式が 不作=干ばつ(猛暑)という方程式もあるという新たな幕開けでした。
干ばつというより猛暑、6月中旬から11月まで”あれ、あれ、あれれ、暑い、あっちぃ、あづいっ!!”の連続。
暑さ大好きの大豆は豊作の一方、小麦やビートは大きな被害を受けました。
ロシアも酷かったみたいだし、グローバルウォ―ミングは普通になっちゃうんですかね?
でも、どんな気候でも結局は緩衝力の強い土つくりや作物の栽培が重要なんですよね。
やることやって、あとは天にまかせる!。
ダメならやり方変えたり、どっかで踏ん切りつけてやめなければなりません。
さて、私も36歳。いいオッサンです。
あと65歳まで働こう(農家に定年はありませんけど)とすると29回目になりました。
29回しかないチャンスをどう生かすのか?
技術はもちろん、農業の素晴らしさも伝えたいとブログをやってます。
昨年の失敗も今年やらないように、改善できることを地道にやっていくようにしたいと思います。
作業の平準化とスタッフとの意思疎通も大切。
そして何より、無事故で無病息災で一年やっていきたいと思います。
「できれば高価な機械たちをぶっ壊しませんように・・・頼むぅ~~」とも願をかけながら・・・と鏡餅の前で。
雑草たちのように図太く逞しく、そして時に美しく?!春夏秋冬を越えていきたいと思います。
さぁ2011も始まり、はじまり。
どんな年になるかワクワクです!!
皆様にも、幸多き一年をお過ごしください。
前田農産HP Powered by “VISUAL AND ECHO JAPAN”
知ってるかもしれませんが、当農場のHPがりにゅ~あるしました~パチパチパッチ~ン!!
新HPはこちら⇒”前田農産食品合資会社“or “MAEDA GRAIN FARM”
凄~い!自画自賛というより、やっぱり血の通ったコラボとはこういう感じなのかなと感じています。
着想から構想、完成まで約2年の歳月をついやし・・・(ほぼ1年半は私の怠慢で進んでいなかったが・・・・)。
しかし、時間をかけたただけありました。
今回、HPでやりたいことは2点あります。
1.多くの皆さまに当農場が取り組んでいる農業をしってもらいたい。
2.後世の人間に、昔の今を伝えること。
後世の人間とは、別に10年も20年も後の人じゃないんです。
自分も含め、農場全体で”あん時こうだったよね~この時こうしたんだよな~”と特にブログを通じて農作業日誌になればと思います。
目的を可能にしてくれたのが、渋谷にある”VISUAL AND ECHO JAPAN“のタスクフォースです。とカッコよく渋谷なんて田舎者がいってますが、代表の池田氏が地元出身。
よく”北海道の高速道路にはクルマよりも、クマが走ってる”なんて言われたものですが、彼ん家はクマが走っているのを見張るくらい高速道路に近く、今は無料化もあってクルマがちゃんと走っていると報告もあったくらいです。
彼の家まで約4kmくらいあるのですが、小学の頃何を思ったか近道だと思い、2月の凍った”利別川”(彼の家は川向こう)を1人歩いて遊びに行き、彼の母にビショビショになった服を乾かしてもらった記憶があります。”1人川口ひろし探検隊”をやってました。今考えたら”三途の川”になってたかも。
小学中学と過ごしましたが、月日は経ち大した接点もなかったのですが、気軽に昨日あったような感覚が田舎者どうしにはあり、今回の運びとなったのです。
実際は池田氏の影武者・マイコ氏と代表以上に優秀(?)なチーム力の結集です。
マイコ氏には、妻との再三の詳細設定とチームへの”我々の想いの伝達”に奔走してもらい誠に感謝しております。
思いのほかというか、当農場の実力以上の出来に満足しています。
地元をしっているというか、やはりどんなとことで、誰が、どんなことを、どんな想いでやっているかを知っているかどうかは、その仕事に乗り移るんだなと思ったしだいです。
チームの中には”神泉のゴルゴ13”と呼ばれる?鉄砲使いもいるとか。恐るべしVEJ!ばきゅ~ん!!
実際に彼らの仕事はジャンル問わず多義にわたり、創造困難なこともあるかと思いますが、”響”がとても似合うプロフェッショナルチーム。
感謝、感謝です!そしてこれからもよろしくお願いします。
彼らのお仕事はこちらから。
VISUAL AND ECHO JAPAN