“暗渠”という聞きなれない言葉をしっているだろうか?
農家と土木現場の方ならご存知、畑の排水パイプの施工のことだ。
土の中は暗いということで、暗渠になっているんだと思う。
秋まき小麦を撒こうと予定したていた畑がぬかるんで入れない。
ということで暗渠になった。
通常は国の制度を使ったりしてやる大規模施工になるのだが、距離も範囲も短いため、自分達で行った。
東中の畑の東側入口付近。15cmの塩ビ管を約60mの分岐、7か所。
落ち口は明渠から20cm高。深さ約190cm
スタートは約120cmくらいだ。
暗渠施工の方法
1.水の落とし口と深さを決める。明渠ギリギリだとあとでパイプがつまる可能性あり。
2.一直線に集水管の位置を決定。スタート位置の深さも決定。
100cm以上はないと、サブソイラや冬場の凍結でパイプが上がってくる可能性あり。
3.ユンボで道付けし目印にして、ひたすら穴掘る。これはベテラン技が必要徐々に傾斜にするため。
4.暗渠管施工、分岐管も入れる。分期間位置きまれば、その分の穴掘る。
5.暗渠用のビリ砂利を暗渠パイプを覆うように50cm高さくらいまで入れる。
この時、深さ位置を決めるのにカラースプレーで色つけると作業しやすい。
6.砂利をならしたら土入れ。あまり粘土の強いものはいれない。
7.ユンボやブルで鎮圧して完了。
といろいろあるのだが、要は大人の真剣な砂場遊びみたいなもの。
ダムを作ってそこから水をどう流すか、それのおおがかり版だ。
農林水産省の事業費用の中でも、こうした基盤整備事業はかなりの金額になり、これで土建業者も成り立っているところもおおい。がしかし、その施工までは早くても、2~3年はかかる。補助事業がなくてもやらないと、来年の作物が目に見えるように悪化するのは間違いない。
待ってられないときは、自分でやるっきゃないのだ。
といいうことで、9月26~29まで2~3人でやり遂げた。
水よ流れなされ~~~
20年は暗渠が生きていてほしいな~~。
月: 2011年9月
麦もみ殻大掃除
小麦の乾燥機や調整ラインからは大量の籾からや、規格外小麦が発生する。
9月19日曇り曜日は朝から大掃除となった。
秋まき小麦の乾燥後も一度軽く掃除はしたのだが、その後貯まった夾雑物をしっかり取り除く作業を行った。
中は埃や塵でいっぱい。エンジンコンプレッサーを使い、埃、塵を施設から取り除く。
目は真っ赤になるし、マスクをしていても苦しい。
またここ最近雨が続いていて、施設周辺もぬかるむ。
もみ殻や規格外小麦は堆肥と混ぜて、有効に堆肥化させる。
またこの日は珍事件が・・・
2tダンプで堆肥場に向かおうとした時、ダンプをぬからせてしまった。
タイヤショベル⇒ブル⇒バックホーの順番で脱出を試みるが、ドツボにハマっていった。
ちょっと壁に穴開けちゃったりして、シマッタナ。
結局、バックホーでダンプを吊って足場の良いところで難を得た。
機械の動線部分は、綺麗に雑草やゆかるんだ黒土を取り除き、火山灰を施工。
これで来年も大いに仕事と掃除できそうだ。
本別町開町110年&ミッチェル交流
本別町は今年、開町から110年を迎えました。
110歳の誕生年を祝うという形で、町でセレモニーが開催。
関係団体や姉妹都市の方々がきました。
その中でも、オーストラリア、メルボルン郊外のミッチェル郡という地区があり、この地域との人的交流が20年以上たった経緯があります。留学から帰ってきて、”本別国際交流協会”という会があることを知り、入会。
今年は、協会主催の”farewell party”の運営を手伝ったのでした。余興では長女も仲間と空手披露。はしゃぎすぎて、ちょっとまとまってなかったかな?
皆アカペラで、”故郷”と”上を向いて歩こう”を熱唱。ホストファミリーと一緒にこれもまた良い思い出になるでしょう。
10名のオーストラリア人が本別町の開町110年の記念式典に参加。
中でも、オーストラリア領事館からの両町の交流を好評する文章には驚きました。
さすが、海外?っていうか、粋な計らいをするのがオーストラリア。
誰も頼んだわけではないのですが、”良い交流はより良い交流のままで更に伸ばしてほしい”との意が感じられました。
交流協会の人間として、ほんべつ人として嬉しかったです。どうもあいがとうございました。
一行は、その後各自が、ホストファミリーに2泊3日の日程でホームステイ。
これが大好評なんですね。もちろん、言葉が通じないことも多々ありますが、この数字なさ加減も緊張感や新鮮さが生まれて楽しかったことでしょう。
本別からも、定期的に中高生の交換交流が続いていて、将来の人つくりや町つくりに貢献しそうです。
今年の秋にも訪問団が行くことになっていて楽しみが現在進行中なんですね~。
9月16日には、商工会主催の”夜デカケナイト”のお祭りでオーストラリアブースを設置。
現地のお土産をスペシャル価格で物販して、その売り上げは同じく姉妹都市の南三陸町の義援金に寄贈したのでした。
田舎には刺激が必要?とは思ってませんけど、新たな出会いを求め、受け入れるのも町の良いところとなりそうです。
farewell party=さよならパーティってことだけど、マイクさんがいっていたように、”see you soon party” に帰るべきだなと思いました。ホストの方も協会の人も事務局の人も皆さんお疲れさまでした。
ミッチェルの皆さん、しーゆーす~~~ん。
最高の運を踏みしめた茨木高校生
9月12日、13日と大阪の茨木高校の生徒が「農村ホームステイ」として修学旅行の一環で本別町にやってきた。
家は4人の元気な女子達がやってきて、両親の家でワイワイやっていった。
ここ2,3年、こうした農村での修学旅行生の受け入れが活発化している。
もちろん、事業自体が経済的な循環を生めばそれでいいのだが、受け入れ農家にその気はほぼないと思う。
農業をもっと一瞬深く考えてもらうチャンスとして、新たな出会いの場として、田舎ってこんな感じよというライフスタイルを知ってもらうのも一つ良いかもしれない。
でもやっぱり人との出会いと交流がこの事業の最大の醍醐味であり、魅力となるだろう。
料理も自分たちの手で、ホストと一緒にカレーを作ったり、作業をしたりと、たった一泊二日だけどお客さんというより、息子、娘や子供たちにとったら、お兄ちゃん、お姉ちゃんに新たに合う感じだ。
ノースプロダクションの近江さんの声かけから始まり、きっと受け入れ農家も修学旅行生たちもその意義を心に刻んでいると思う。毎回思うが素晴らしい体験ができている感じがする。
本別でも、茨木高校の一クラスが10数戸の農家に分かれて滞在した。
残念ながら長らく続いた雨のせいで、予定していたイモほりや豆の収穫ができなかった農家も多かったのかもしれない。
天気の変化も、土の状態も変わる良い勉強の一つだ。
4人の子達が作ったカレーは最高に美味しかった。
何でも、茨木高校はかなりの文武両道生達がそろっているようだし、学校祭も超盛り上がる団結力ある高校に感じた。
皆、将来の夢をもっていることも素晴らしかった。高校のときなんか漠然としすぎてて、将来のことなんてたいして考えてなかった自分と大違いだなと反省させられたくらいだ。
13日はちょっとだけ時間をとって、小麦の調整作業や小豆、大豆の生育。
従兄弟の牛や(酪農家)のところで、乳搾り体験。
それから堆肥散布の作業を手伝ってもらった。どうって?トラクターに実際のってもらって。
もちろん田舎の高校生だって、車を運転することはそうそう?ない。
大人になって、初めて自分で運転したのは、”トラクター!”なんていうのは逆にかっこいいかもしれない。
自慢してね。
それから、昼ご飯も自分たちで母の管理する家庭菜園から、イモほったり、トマトとったりと楽しくやっていた。
確かによくある観光地行くより、つらさがあったり、ぎこちなかったり、嬉しかったり、土の匂がしたり、堆肥であるウンが足底についたりとしたほうが良い思い出になると思う。
また大学生になって十勝を訪ねてきてほしい。元気でね。
キタノカオリのチャバタ by akiko
こんにちは。
雨ばかり続いている北海道です。
イモや金時豆を生産している農家さんには、かなり大打撃の雨です。
当農場でも秋小麦の種まきが遅れてしまうのではと、
小豆の収穫も控えて、天気予報を見ながらハラハラしています。
さて、9月1日から、世田谷のシニフィアン・シニフィエ様で
当農場のキタノカオリのチャバタがデビューしております。
私達も早速試食させて頂いたのですが、
外側はバリッと中は、しっとりもっちりの美しいクリーム色のパンです。
志賀シェフのパンは、「どうやったら、こんな食感の、こんな味の、こんな色のパンになるの!」
と職人技の極み。
オーブンで2~3分温めて、スライスして、ハムエッグとチーズ、トマトを
挟んで食べました。
子供達も競って食べていました。
気づくとなくなっていて、写真を撮らなかったことに、気づきました(涙)
ごめんなさい。
キタノカオリは収穫期のお天気に恵まれて、風味も質もとても良い小麦になりました。
美味しいパンになって、小麦人生最高だと思っていると思います。
詳しくはシニフィアン・シニフィエさんのHPをご覧くださいませ。
JBI
麦チェンワークショップin十勝 結果発表~~~!
9月2日麦チェンワークショップin十勝が行われた。
始まる前は”いったいどうなるのやら?”と懐疑的だったが意外や意外?盛り上がったのでした。
まず事務局から、ツアー各部でのアンケート調査の結果が発表され、パネリスト3人がどう思ったのかを短時間で報告させていただきました。
小麦畑ツアーは、私の永話?以外は非常に好感度が良く安心しました。
また、地元の小麦でうどんをずっと作ってきた”小麦の木”のオーナー紺野さんの十勝を変える、帯広市を変える先見の目やアイディアはかなり斬新。やっぱり、唯のうどん屋さんではないことが発覚。楽しかったです。
その後、主催者のシーニックバイウェイのかとうさんから面白い会議の提案が。
一枚の模造紙を囲み、一班6,7人のグループに分かれて1人2分くらいで麦チェンツアーでやってみたいことや、こんなツアーだったらと意見をランダムに出し合いました。それまでのブレイクアイスとなる内輪の話も興味深く、短時間で一のアイディアをひねり出すやりかたなのかなと思ったほどです。
来年もまたやりたいですね。是非来てくださ~い!!
関係者の方大変お疲れさまでした!