日本一長い111mピザの有志達は?

2012年9月8日(土)に行われた
十勝・本別町開町111周年の日本一長い111mピザの協賛企業です。
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主催は? ①チームほんべつ111with②十勝ピザ立国チーム
①は立上げは不安と恐怖の?4人から始まり、8日は総勢40名のスタッフになりました。
開町111年のお祝と、今後の町の発展を願い今回はピザ創りに挑戦。それを支えてくれたのが
②十勝ピザ立国チーム。2006年発足の十勝の食材でピザを創りをして町おこしボランティア精神あふれるチーム。
今回はチームがもつ記録(70.5m)を越える日本一長いピザへの挑戦も兼ねる。
1回目 8月29日焼き練習
2回目 9月2日11.1mピザ作り、トマトソース仕込み
3回目 9月6日生地仕込み
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本番  9月8日今回の113,5m(日本新記録)と多くのチームメンバーが道内各地から集まり、日本一長いピザを創りあげた。
素晴らしいチームメンバーでした!
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特別協賛と資材、食材提供&レンタル、協力等は?
本別町役場         :ゲンキッチン、広場、テント、ノボリ、テーブル、焼肉台、杭、
株式会社明治        :ゴーダ&モッツァレラ、シュレッドチーズ
本別町農業協同組合   :黒豆(祝黒)&イモ(トヨシロ)、ポスタープリント
本別町商工会        :パイプイス
本別町教育委員会     :CDデッキ、スピーカーマイク
協賛の資材、食材提供、協力等
北海道農業大学校       :朝どりスイトコーン、かぼちゃ、なす、玉ねぎ、8日終日ボランティア
ゲンキッチン           :8月6日トマトソース仕込み、7日:野菜下拵え:8日終日場所提供
道の駅ステラ本別       :駐車場、梯子
豆ではりきる母さんの会   :金時、黒豆(キレイマメ)、7日野菜下拵え
図書館ボランティアぶっくる :8日終日ボランティア
密厳寺              :臨時駐車場
株式会社永寿          :本別義経炭(ナラ材)
森のパン教室          :特製ホワイトソース仕込み、生バジル、石窯担当
久能看板店            :日本一看板製作、高所作業車レンタル
とかちマッシュ           :マッシュルーム
北海道新聞社           :取材&記事
十勝毎日新聞社         :取材&記事
OCTV                :イベント取材&放送(9月22日)
源すし                :トータルコーディネート、打合せ&打ち上げ会場
秀華                  :やきそば&しゅうまい(スタッフ分)
十勝元気村             :おにぎり&けんちん汁(スタッフ分)
前田呉服店             :網つなぎ、受付
マルシメ前田            :打ち上げ花火(3発)
十勝がんこ農場2         :パプリカ
各務農場              :完熟トマト
門前農場              :トータルコーディネート、薪、各種資材
本寺畜産              :トータルコーディネート、生ゴミ処理
小笠原農場             :トータルコーディネート、ポスター&シール作成
伊藤農場              :薪
小川ファーム            :音響、時代曲&効果音選択
大島農場              :生バジル
株式会社岡崎組         :111mの正確な測量
前田農産食品合資会社    :小麦粉(きたほなみ&ゆめちから)、手創り石窯、シャドークイーン、各種資材、トータルコーディネート
主旨に賛同していただき快く資材や食材提供をいただきました協賛企業の皆さま、ならびに主催者、ボランティアで共に汗をかいていただいた皆様、そしてそして、熱い中腹ペコ状態で3.5時間もの間目の前のピザを固唾を飲んで待っていただいた参加者の皆様、大変ありがとうございました!感謝、感激、感動でした!
住民はもとより、先代達や後世にも誇れるというよりチャレンジすることの楽しさとローカル力を伝えられるイベントになりました。
日本一おめでとうございます!!
よっ、このニッポンイチぃ~~~!!
チームほんべつ111の実行委員長として
この場を借りて皆様に御礼申し上げます!

The Road To 日本一長い111mピザ(完成編)

9月8日(土)、決戦の日は来た。
前日までに、食材集めに奔走し、下ごしらえを各チームにお願いし、自分達は会場準備のテントやイスや石窯設置。
ロープをはり、動線を考え、あれはこっちに、これはあっちにと。できるだけの準備を整えていった。
うれしいことに、この日の朝のスタッフの数は想像以上だ。
はじめてみる顔ぶれや、なじみの顔。
皆”私も楽しみたい!!”という顔に溢れている。
”あっ今日はお任せでイケるわ!”最初からそういう思わせる雰囲気だった。
今回たまたま日本一も目指すことになったのだが、そもそも論の
この長~いピザをやりたかった理由は
1. 本別町開町111周年のお祝であること。111年の歴史と先人たちの開拓から我々はこの地に活かされてます。皆で盛大にやるのも良いかな?なんて勝手に思った。
日本一はオマケ。111が1が三つならんで日本一なら、皆も将来覚えやすいかな?と。
2. 十勝・本別の地の食材を使って、皆が参加できる食のイベントにすること。アピール不足でなかなか知られてない農産物や生産者も多くいます。それにイベントは食だけではく、多くの資材や機材や場所も必要です。町つくりにも似ていて、一人や二人が頑張ったってどうしょもないですから。地元の農を地元の食とすることができれば、このうえない喜びになる。
何回かに分けて、説明してきたが、準備段階は人くどき。私の悪い癖は構想は長い間あるのですが、切羽詰まんないと人に相談しないこと。9月8日に開催でしたが、実際の動き出しは8月15日ころから(汗)。仲間集めは、農協青年部時代のブレーン4人と地元のすし屋の若手職人。“また、騙された~!”なんて笑顔で寄ってくる仲間がいないとこの手のイベントは上手くいきません!ただ誰もが共通しているのは“町に対する想い”。これはオリンピックで日本の選手を応援するのとはちょっと想いが違っていて、自分たちがどうにかしないと!というプレイヤーになる想いが強い。
男の話合いは生産性がなく、結局、実際にピザをやいてみたり、長いピザのビデオをみたりしながら進め、9月8日までに計3回の練習をもつという強行的な流れ。また運よくというか運命的に、十勝の食材でピザを作って町を元気にしよう!というボランティア団体の“十勝ピザ立国チーム” http://blog.goo.ne.jp/tokachipizza/e/51786e86968d2562b7772b6712c794b9の首脳陣との出会いもこのイベントの大切なポイント。彼らも自己記録である、十勝・大樹町の70.5mの日本記録の保持者たちでしたので、今回の提案は快諾!!100m以上をやってみたい!という気持ち満々。
こうなったら強い!やり隊同士がぶつかると掛け算みたくなります。
やらない方向ではなく、どうせやるんなら美味しいピザ、楽しめるピザ、記録よりも記憶に残る日本一のピザにしよう!と。
練習は3戦しましたが、正直1勝2敗のようなイメージ。
参照:The Raod to 日本一長いピザのストーリー読んでね!
問題は人の流れ、生地の状態、温度調整でした。しかも本番3日前にうちの石窯が崩落してしまうアクシデントも・・・。
肝を冷やす暇も忘れ、必死で時間に追われながら窯を補修!気がつけば、7本も石が折れてる!
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ほぼスタートで組み直し開始!心配してくれた門前農場の門前さんも助っ人で集まってもらい・・・
スタッフの松本さんとともに、“途切れない本別の歴史も、日本一達成をしたい参加者の皆の楽しみもある。
ここでどうにかしなきゃ前田農産らしくない!!”と動揺の中にも“改善”を施す窯に変身させたのです。
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作業は深夜まで続いた。改良点は3つ。
1.中段の石を12mm鉄板に変更⇒一枚120×90cmで200kgほどあるそうだが、後で分かるが鉄は熱で曲がる。20mmでも同じかもしれない。鋳物じゃないとこれは無理かなと思った。
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2.置き火式採用:今まで(バッフル方式=熱伝導型)のものよりもさらに直火を与えるため、耐熱煉瓦の遠赤外線効果も狙い、ビッちり石を置いた。⇒これも重さの関係で、横石が割れる原因となった。(もちろん補強はいれたのだが・・・)
3.PGSの空中ブランコ(ピザガイダンスシステム):空中ではないのだが、置き火式を考えると中吊りの仕組みが必要だったため、その調整できるような台を窯の前後にとりつけた。これも大正解!!
イベントについてだが、
今回、行政からの資金的バックアップは一切なし!!勝手な想いからの構想で、もしこういった形で町おこしのためにやりたいと思う方は、是非根回し上手になるか、スポンサー探しを上手にするのをお勧めします。今回は食材以外はほぼ全額手出し。アイディア、時間、人、物、金が上手く回らないとできないことです。それでもやりたかったです。この小さな町でも日本一の何かができるのであれば、可能性を信じて、それを皆と共有してみたかった。それだけでした。
 ただ嬉しいことも多くありました。食材提供者も資材を貸してくれた役場や商工会も快く日本一長いピザの主旨に参動してもらい、多くの食材が集まりました。“同じ釜のピザを喰う!”ボランティアのお母さんたちや、地元の農業大学校の先生や生徒も約40名が当日あつまってきてくれたのです。前日の野菜の仕込み、その前のトマトからのピザソース作り、生地の半焼成と。どんなピザになるのか不安と楽しみが交差します。
そのスペシャルチーム名が“チームほんべつ111(ワンワンワン)と十勝ピザ立国チーム”の混成ピザ部隊。さぁ、日本一への挑戦の始まりです。
9月8日は十勝晴れの快晴。気温は28度とかなり暑い予報でした。私たちが何せ心配したのは参加者の人数。だって大都市と違うんです。そんな簡単に人なんかきません。最悪、100人くらいかな~でもまてよ・・・・一人1.1mもピザ当たっちゃうぞ~。それは食べきれんしょ~!!“と。天気にも仲間のFacebookでの発信力,地元のマスコミ関係ももちろん、各学校や関係機関を練り歩いた結果、400人近い人達が集まってきました。
それでは、記憶よりも記録に残る日本一のピザのこだわりをご紹介しましょう!!
1. 地元の食材、資材をふんだんに使うこと。
2. 十勝・ほんべつには四季がある。約30mごとに春夏秋冬と食材をかえたエリアをつくり四季のピザを楽しんでもらう。
3. ほんべつ開町111年は歴史。10mの立て看板を作り、年号をいれピザの流れとともにタイムスリップする雰囲気をだす。
4. また、各時代のヒット曲を昭和40年~現在までの懐メロをかけて音楽参加者に楽しんでもらう。
5. 日本一達成の70,5m超え(71m)で、お祝花火点火。それから111m達成でさらにもう一発!
6. みんなで創ることに意味や歴史がある。ピザの具材のトッピング、それからピザ生地をゆっくりひきだすひっぱりを参加者全員に体験してもらうこと。
という聞くだけでも楽しいことづくめ。問題はというと完成までの3時間半ずっとピザ出来上がりを待たなければならない試練をこえられるかです(笑)。
参加者も我々も初めてのことでドキドキ、ワクワク。私は“111年の歴史は97万2000時間の中のたった3,4時間のできごと、歴史のようにゆっくりと着実にピザを焼いて最後に美味しくて日本一のピザを皆で楽しみましょう!!”となんて訳のわからない挨拶して開始~。
開始はお昼12:00のサイレン(うちの町はお昼をしらせるサイレンが鳴る)でスタート。1分30秒くらいで1mづつゆっくりと、ゆっくりと焼いていきます。もちろん、参加者たちは受付で参加費と日本一長い111mピザのスペシャルステッカーを胸にはり、トッピングをしてから、網のひっぱり隊を手伝います。
チームほんべつ111と十勝ピザ立国チームの石窯チームが焼き加減を慎重に見定めて、ピザ立国チームの大将の岩田さんに報告。岩田さんの掛け声のもと、ゆっくりとピザ焼きの網を皆でひきだします。トッピングチームは動き出したら止まれません。参加者に具材をトッピングさせて、指示をだしながら、また会話も楽しみながら進めていきます。
ここで皆さん、どうやってやるの?と不思議に思うと思いますが、要はトンネル型の石窯に焼き肉の網を111m連結させ、その上にアルミホイル、生地、トッピングとし、焼いたあとは巻段ボールの上にのせて、それを参加者皆で引き出すというのが流れなのです。一番気をつけなきゃいけないのは、網がきれること。これも10日前にうちの倉庫で内職したのでした。
日本一の内職中?
その網ですが、100円ショップにいって、“30cm×50cmの焼き肉の網を230枚(115m分)ください!”というと“業者の方ですか?”と言われたくらい。レジで“いったい俺は何をやってるんだろう!?と人間ぽくなった瞬間でした(笑)。
さて四季のピザは妻の提案でもありました。
同じ味で111m作るんじゃ、もし美味しくなかったときにどうすんの?とシビれることを言われ、そうだな~といっている間に4つの季節のピザのコンセプトを考案、それからパン教室の先生にも相談して、たった1週間前に変更。これは内部ではちょっと問題になりましたが、結果大成功でした。参加者の皆さんが口々に、“夏食べた?生バジル最高~!!“”冬のホワイトソース(これも地元のパン教室の先生が仕込んでくれた)美味しかった~“”え~秋がない、食べられてる・・・・“と口々にピザを探す感じ。また小学生の娘も学校で、上級生たちが、”日本一のピザ食った?超ウマかったぜ~!“と話すのを聞いてそうです。
春は“町花の紫つつじとエゾ山桜咲く野山“に、紫色のシャドークイーン(ジャガイモの一種)、玉ねぎ、それから豆の町ほんべつをアピールする金時豆で満開に。十勝ピザ立国チームオリジナルのトマトソース(これも大窯で返りトマトをTシャツに浴びながら作った力作!)山桜は、焼成後小エビで彩りました。JAほんべつや豆ではりきる母さんの会に豆や野菜の仕込みをお願いしました。やっぱり母ちゃんの味は不変です!!
春は、ひまわり原家と青い小麦畑がコンセプト。元気の出る黄色はとうもろし。青々とした小麦畑はピーマン。夏野菜の茄子と。焼き上がりには香漂う生バジルを乗せました。
本別にある農業大学校(農業後継者育成の大学校)から学生たちのつくった野菜をいただきました。
秋は、町の唯一のトマト農家の各務さん家の美味しいフレッシュトマト、かぼちゃにパプリカ。紅葉の赤、黄を演出。ベースはトマトソースではなく、オリーブオイルを使うことで、小麦の味と香り、野菜の甘みを引き出しました。
そして冬エリア。雪化粧は特性手創りホワイトソースに、十勝マッシュのマッシュルームとタマネギのクリーミーな味わいに。町自慢の黒豆(祝黒&キレイマメ使用)は雪原の足跡を表現しました。
四季を通じてかかせないチーズは地元の酪農家たちが、草と牛を育てた上にでてきたチーズ。ほんべつには、明治のチーズ工場があり、そこからゴーダとモッツァレラを食材提供していただけました。企業にも地元還元の意識があり、酪農家あっての工場や製品という心生きを感じています。
そして、ピザ生地は、前田農産提供の「きたほなみ&ゆめちから」。6対4でブレンドし、モチモチとしていてそれでいてクリスピーな生地に仕上がりました。ミステリーサークルアート2012in十勝・本別でお世話になったパン用強力小麦の超新生「ゆめちから」。日本一にこの小麦を連れていく!これが私の踏み倒したゆめちからに対する恩返しだと言い聞かせ、ここまできたのでした。
春から冬まで、平成24年から明治34年の本別町誕生まで、途中は懐メロをかけながら、約3時間半かけて完成!!実は111mトッピング完成した時点で、間違って花火を上げてしまい会場は騒然。“あれ?ほんべつ、気が早い人多いからな~”なんていってると、音響も気を利かせて、AKBの“フライングゲット”をタイムリーにかけてくれる演出も・・・(笑)。
しかもツイていたのはもう一発、予備の花火を持っていたこと。結局完成後、老若男女じいちゃんも、ばあちゃんも、父さんも母さんも、子供たちも皆で、ほんべつ町長の日本一万歳~!!!の挨拶で花火を打ち上げ、その後皆で美味しくピザを食べたのでした。結局、記録は113.7m!?と2年ほど先取りするくらいの、ぶっちぎり日本一の長いピザになったのです。
もちろん、皆笑顔、笑顔、笑顔!
スタッフ達も達成感にひたり、それぞれに“やったぜ!”という誇らしげな顔がありました。
編集後記として・・・
町の広報紙の表紙を飾ったのでした~パチパチパチ~
日本一ですからね、それに次の週の9月15日は111周年記念事業があったそうで、その前焼戦にもなったと思います。
広報担当の方、ありがとうございました~!!
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The Road To 日本一長い111mピザ(キラメキフェスタ編)

9月2日、ほんべつタウンフェスティバル2日目。
このお祭り会場で、今回111mの前焼戦となる11,1mを焼くことになった。
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当初、本番だけで良し!なんて思っていたがこの日の失敗や経験がなければ本番に上手くいかなかったかもしれない。
このブログも回想録のように10月にもなってかいている。正直、いっぱいいっぱいで手も頭も回らなかった。
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本番に向けて、十勝ピザ立国チームのメンバーも多く集まってきてくれた。
今回、11,1mと楽勝!!なんて考えていたが、私の司会の段取りの悪さもあり、勉強勉強の一日となる。
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11,1m想定は
1.不特定多数のお祭り会場(お祭りがメイン)
2.生地は冷凍
3.募集人数は50名
4.11,1mピザ、味は統一。
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という当たり前のシンプルなイベント。
だが、①受付②生地伸ばし③トッピング④ひっぱりと流れは万端なはずだったが、人数の振り分けや生地の半焼成などがまにあわず、生焼けもあった。
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また最後に悪かったのは私の”好きなだけ楽しんでください!”の一言。
”体験料としていただいた参加費です””ピザ一枚300円じゃないですよ~!”といってはいたのに、
会場のうるささにかきけされたのか、徹底されず、また祭りのドヤ騒ぎに参加者以外の人も完成後に飛び入り参加する事件が!
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人間の良心だけにしたがうとエライ目にあうというのが今回の大反省点。
イベントの主旨の説明、それからお客さんにも何かを感じてもらわなければ、ただ長いピザ焼きました!じゃ意味がない。
こりゃ組み立て直さなきゃいけない!!と思ったのでした。
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しかし、十勝ピザ立国チームの連携の良さと、まとまり方は素晴らしい!
迷惑かけたのにもかかわらず、”こういうこともあるさ~!”みたいな雰囲気でさらに、本番(111m)に向けてトマトソースを仕込みに颯爽と本別町の農産加工施設”ゲンキッチン”に向かうのでした。今回のチームほんべつ111と十勝ピザ立国チーム
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固唾け終了後、我々も合流しましたが、皆返りトマトをTシャツに浴びながら、大汗をかいて仕込んでくれたのです。
感謝とともに、絶対111mやらんきゃならん!と気合いがはいったのでした。
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そして、この道の駅ステラ本別ならびに、ゲンキッチンの前が本番ステージ。
十勝ピザ立国チームリーダーの岩田さんの111mの測量。
”え~長!!”
でも思ったのです。なにか理由がないかぎり、こんな長いピザ焼かないな!と。ワクワクしてきました~!
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そして、夜は夜で111mピザの網つなぎの内職をキラメキ祭り会場でやりました!同期の女の子たちにも手伝ってもらい・・・
お酒のみながら、八代アキ(お祭りゲスト)の歌を聞きながら、針金をつなぐのでした。
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参加した皆さま、十勝ピザ立国チームの皆さん、それからチームほんべつ111の皆さんお疲れさまでした。
本別町の半端でない(数字は半端ですが・・・)111年の歴史にアドバンテージを感じたのでした。

The Road To 日本一長い111mピザ(練習編)

そうだ!皆で長いピザ創ろう!どうせだったら、本別町開町111年にかけて111mのやつを!
という思いつきは、ミステリーサークルを創った際に生まれた強い意志。
こんな感じの予告記事を十勝毎日新聞社がだしてくれた。
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役場のM君に電話したら、「そうですね~本別町111年ですね~」なんて聞いて完全に火がついた。
開拓から111年。このゾロ目、ミステリーサークルアート実施、「ゆめちから」の力、なにか変なパワーがまたまた起こったでした。
ただ今回は、うちの敷地内じゃなく、町の施設や本当に多くの協力者や協賛者に恵まれないとできないなとも思った。
まずは、練習。そして知ってる人に聞いてみようと、
私はこの長いピザの世界的?先駆者の十勝ピザ立国チームの代表の岩田さんと京谷さんに7月に上旬だったかお会いした。
聞くとこのチーム凄い!なんせボランティアで十勝の食材でピザをつくりまちおこしにしよう!という実際ピザを焼き、地域の活性化まで潜在的にお手伝いしよう!というめちゃめちゃ熱い人達だった。
ほぼ全ての十勝管内の長いピザはこのチームが後ろ盾どころか、実際にやってきたようだ。十勝・大樹町役場主催の70.5mというのもこのチームが先導し達成。今回は111mと100m超えというのも「何かが見えるかもしれない!」とただならぬ気合いを感じた。
ただ、「そんな簡単でないよ!」ということで、練習しましょう!となり、日程を急遽組むことに。
8月29日(雨)の中、うちの倉庫で焼きの練習と流れをチェック。
最初に断わっておきたいのは、我々はこれが誰も本職でないこと。我々チームほんべつ111は農業者中心、十勝ピザ立国チームはサラリーマン中心。だれもピザに精通している人はいない。逆にこれが本職だとやれないイベントなのだ。
大人の楽しくとも真剣な学校祭そんな感じて受け取ってほしい。
この日も、十勝ピザ立国チームのオレンジつなぎをきた岩田リーダーと村椿さんが合流。
指導するかたちで、長ピザの流れを伝授してもらった。先日の小学生とのピザである程度は理解できたいたので”な~るほど~”ということがいっぱいあった。
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この日は、門前農場の門前さん、小笠原牧場の徹ちゃん、本寺畜産のマサ、伊藤農場の伊藤君、農大の荒井さんと私が本別からは参加。
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皆、野菜(農大)をきって、チーズ(明治)、を準備。お客さんの流れ、生地作りの流れ、焼成後の流れをチェック。
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窯の温度も☑だし、おき火式に変更し、PGA(ピザガイダンスシステム?)を設置。
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流れとともに、それぞれのウィークポイントや注意点をあらいだす。
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この日、空手少年団の子供達が夜食によってくれて、皆たいらげてくれた!押忍、美味しいっ忍!!
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この日のピザは正直、上手くいかなかった。生地(冷凍)と野菜ののせすぎ、火の管理調整等反省点も多かった。でも練習だからいつも以上に失敗やイレギュラーがおこったほうがいい。よ~し次はキラメキタウンフェスタで11,1m焼きだ!

完成!でっかい石窯物語

ついにあの石窯が完成しました!!約2週間の歳月?をかけたやる気とアイディアだけの石窯の完成です。
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 どうしようかと迷っていた、フロントフェースは愛執ただよう?半アーチ型を採用。
下絵だけをイメージしながらバランスをとれればと工夫しました。デザインって難しいですよね~。
お金をかければいいってもんじゃないし、部材もコストを抑えるとすると規格ものをつくるほうがいいし、自分で加工できたらそれはそれで楽しいしかっこいいし。迷うことも勉強ですね。
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耐熱ガラスはそんじゃそこらに売っていないのですが、ネット社会ではあるんですね~。いろんなことが勉強になりました。
後に解るのですが、最初の火つけの段階で、すすが硝子に付着し、全く中が見えないという残念なこともありましたが、まぁ良しとしましょう。
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 この石窯は、約1t近くの重量があるため移動は、フォークリフトかクレーン車で吊り上げ式を採用しました。
なので背面には、吊り上げようの天秤を作成。これも皆手作り。
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 今回は2段式石窯を作成。下段で薪をたき、上段に熱気を巡らせて(石窯背面の一部が隙間になっている)、煙突から熱気や煙を抜くバッフル方式を考案しました。といっても、石を組んだだけのものですので、多少の煙や熱気もれはあります。
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 今回は本格的な薪がなかったため、昔小屋だったものを解体した時にでた廃材を利用。この廃材もうちでは恒例となっていた年末の餅つき大会、母やおばあちゃんの漬物小屋として使われてきたもの。最後までお伴させていただきます。
 燃焼温度が低いうちは煙がもうもうと上がってきます。 
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 火の廻りが出来始めると、煙突や入口からの煙も少なくなり、クリーンな煙が排出されます。ここは要注意、蜃気楼が見えるくらいの煙は相当な高温です。200度以上。
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 それから、約一時間半燃やしに燃やして、反射温度計(これが使える!!!)で測ってみると、上段は300度越え!!以前パン屋さんに「200度以上は必要ですよ」って言われていたので、驚きの高温窯でした。その証として、いくら中が熱くても外壁側まで石が熱くなっていないのです。これは保温性の高さを証明しています。やったぜ、ベイビー石窯!!
そうしている間に春休み中の子供たちは、椅子を準備したり、煙と戦ったり?してその時を待ちます。
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 そしていよいよ、ピザ投入です。手作りピール(歩鎌の柄+ステン板でつくりました)にピザを乗っけて、子供たちがいざ投入。
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 するとどうでしょう!!下に敷いてあったクッキングシートが投入と同時に一瞬でメラメラメラっと燃えていくじゃないですか!
これは凄い温度だ~~!!300度以上は半端でない熱さのようです。ピザも一気に仕上がっていく感じ。見てください!この艶と旨そうな焦げ!!と自画自賛ばかり。わずか1分半から2分くらいで仕上がります。
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 それからオプション参加として、ヒマラヤ岩塩プレートに鶏肉を乗っけてやいてみました。これがまた滅茶苦茶、ハチャメチャ旨い!!驚くほどの美味しさです。 
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 こちらもオプション参加のさつまいも。ホイル焼きならもっと外側も美味しく仕上がったでしょう。でも味も甘みがでてきて、本当の石焼きイモですね~。たまりません。一段目の火の中にほおり投げておいても良さそう。ダッチオーブンも使えそうなので、いろいろやってみたくなってきました。
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 うちのスタッフの松本さんも笑顔でしたね~。
本当に手の器用な方。溶接の仕方、部材の選定や何が次に起こるか、想定される次のことをまた、改善点や問題点を探せる若者は今は少ないような気がします。だからベテランや先人達の生活の知恵を実践を通して学ばなければならないのです。
 これで、器?(期)は整いましたで~。
皆で楽しむ、エンター石窯にしたいです。
 次回は、前田農産の小麦粉でピザ作りに挑戦だ!!

でっかい石窯物語

3月下旬、念願だった石窯製作にとりかかった。
以前から農場でピザとかパンを振るまうことができればと思っていた。
しかも大家族のような雰囲気のあるやつ。
昨年はドラム缶で、ピザ窯を作成してみた。
”Drum Can Pizza true”だ。その時の様子はこちら⇒ポチ
今回はこれを根底から覆すような本格的石窯をつくる。
やりたいことは2つ。
1.デカイのつくりたい。しかも移動できるやつ。
2.北海道素材でつくりたい。
デカサといっても人それぞれ。
今回は、横縦が1200mm正方形の石窯つくりに挑戦。
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 北海道素材として、“札幌軟石”といわれるその名のとおり、札幌周辺で採掘される石をを窯に組み立てた。
約4万年前に支笏湖の火山活動で生まれた石層で、あの石屋製菓さんとか、札幌コンベンションセンター、小樽レンガ倉庫の一部にも使われているそう。昔は何百人という石工の人たちが働いていて、”石山通り”もその関係でついた名前のようである。
ダンプで日高山脈を越えて、採掘現場までいって石材屋さんから石をいただき組み立ててみました。
今回是非ご紹介したいのは、こちらの会社さん”辻石材工業株式会社”です。
建築様式の変化、新素材に時代はかわり、こちらの会社でしか”札幌軟石”の生産業者は残ってないそうです。
もともと、このアイディアは音更の農家さんから頂いた。
そこのうちは1段ものの、置き火式。
 今回はバッフル使用とし、2段層にして連続で焼かる仕組みができないかと考案。
下段で燃やして、熱気を上段に流し込み焼けないかな?と。
3月23日に、JAほんべつ青年部の本別支部の若いメンバーが集まり作ってみた。
なかなか重い。超重量級で一本80kgくらいありそう。2人でたがかないと、持てない重さだった。
こういう経験は経験値になる。なんでも見て聞いてみたら実践するのが一番勉強にもなるし、この出来事を子供たちにも伝えられる。
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しかも、軟石らしく本当に掛けやすい、ポロポロと石の塊というイメージではなく、石と乾いた泥を固めたような塊のイメージだ。
そ~と、そ~と作業をした。また次の日に、ジェットヒーターをたいて仕事をしていると石から湯気が上がる。
相当な湿気を含んでいるもの間違いなさそう。火入れは慎重にしたい感じだ。
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火の抜けの防ぎ、密閉間を高めようと途中、耐熱モルタルをペタペタ素人的にぬった。
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確かに軟石だけあって、ポロポロ砕けやすい。
“あれ大丈夫だべか・・・?”と不安半分、期待は2倍の状態。
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そのために取外し可能な鉄枠を製作。
今は2層の窯の入り口のデザインと作業性を考え悩む。
耐熱ガラスも用意しないと。
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“お父さん、ホントにできんの~?”とドキっとすること言われましたが“見てろよ~!楽しいぞぉ~”とだけ言っといた。
薪拾いにもいかせなきゃ。1,2月と山にいっていたので薪を調達しなきゃ。
薪も通常は1,2年乾燥させる必要があるため、ここではどこまでやるかは未知数のところ。
 
今後、6月の修学旅行生の受入や7月のベーカリーキャンプ、子供たちの部活動、会社の懇親会や仲間での地域の交流会に大いに役立てばと思う。
これで小麦たちもこんがり本の姿の小麦色に焼かれたら、嬉しいだろうな~。
PS 残りの耐熱モルタル、もったいないので後でプレートにでもしようと、枠を作って固めてみました。
   細い鉄棒もいれて強化。どうなるんでしょうか?楽しみ
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ほんべつ雪あかりナイト

冬~の一番しゃっこくなる時期、ほんべつ雪あかりナイトは行われた。
もう第8回にもなるんだって.
道の駅”ステラほんべつ”には、特性の滑り台(楽しいよ~!!)に元気くん(町の豆のマスコット)が迎えてくれます。滑り台は開催中。お子さんのいる方は是非
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私が幼い頃はこんなんじゃなくて、”ほんべつ道産子寒風祭り”といって土手沿いにある清流公園で行われたものだった。
トラックタイヤのチューブを膨らませてそれにのって土手をジャンプしながら滑走する。
スッパマンやると途中で顔面を強打し、鼻血まみれとか雪まみれはよくあった。
覚えているのは、恒例の餅まき(ビニールの中に小さい餅)大会。
押し合いへし合いのドヤ騒ぎだ。何個拾えただの、5円が入っていただのと喜んだものだった。
それと中学校のときだったか、会場の雪のカマクラで友達3人とその上?(上で遊じゃいけないのは誰もがアウンの呼吸でわかっていたはずだが・・・アホども!)で遊んでいたらカマクラが倒壊し、中に入っていた私は入り口のところでそれに潰された。
幸い顔だけだしていたので引っ張りだしてもらったのだが、カマクラ入り口付近は氷を固めてあった為、勢い良く腕を引っ張ってもらった瞬間、その氷にミゾオチを強打。
私は苦しさになにも言え、なみだ目になって
“ハウ~ハウハウハウハウハウハウ~ハウ~ハウハウハウハウっ!”と悶絶した。
これがその後語り継がれる”ハウハウ事件”の真相だ。
そんな懐かしい武勇伝?はどうでもいい。
2012年2月4日(土)はお祭りにはちょうど良い-5℃くらい。
しかも今年は1月から-20℃超えが何日も続いていた。
最高のアイスキャンドルは天気も味方につけなければきらめかない。
ちょうど良いなんていっても、誰もが完全防備したい気分。
休憩して暖まるところもある。アイスキャンドルの炎に揺られながら、5分くらいなら?寒さを忘れる事ができるでしょう。
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町民による町民のためのお祭りである。
そうすると、各自治会や学校、団体で血が騒ぐ人がいる。
準備段階でも、かなりその当日まで何個のアイスキャンドルが出来るか懐疑的なのだ。
強制は全くない。自己満足の範囲、キレイに町を彩ってみたい一心が町を明るくする。
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準備段階も手伝った。その家庭で作られたアイスキャンドルポッドを軽トラで取りに行く。
(信じられないかもしれながいが、田舎ではかなりの人が軽トラを所有しているのだ)
実際に現場をまわると、自治会で取りまとめた数と実数は大きく変わる。
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私    ”あれっ紙には10っ個って書いてありますけど?”
オジサン ”いや~暇だったかんよ~180個近くはあんぞ!”
私    ”ぎょぎょぎょっ!軽トラ応援求む!”と連絡とるのでした。
     まっ、キャンドルも人口も増える分には問題ないか!
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弥生町ジジ(自治)会も今年は、道道であるほんべつ大橋から高校までをキャンドルを並べて準備。
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実際多くの車や散歩する人が増えた。うちの前や畑沿いもそれに面しているため、大変キレイ。
雪の中の小麦たちも喜んでいるかもしれない。
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アイスキャンドルだけでは物足りない人は造形する。
皆手作り感満載。本当に凝っているのは”ファンタスティック!”の連続だ。
これなんか凄い!ペンギンを見た事がない人でも”ペンギン!”と発音してしまいそうな可愛さ。
しかもこのキャッスル?がすごい。
質問      私:”この三角部分どうやって作ったんですか?”
答 そこのオジサン:”工事現場の三角コーンあるべ、あれで作んのよぉ、これをなソ~ッと外すのがまた難しいんだな~これが!”と鼻水をたらしながら語ってくれる。
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他にも、町体育館からでてきたような”巨大なツララを”造形につかったり。
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さすが!建設屋さん!と呼ばせるような”ハートキャンドル”
これも逆三角にしていく技術と執念、根気となかなかタフな出来だ。
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アイスキャンドルは安全上のため今日撤去されてしまう。
時が過ぎ、祭りも人口減少とともに形を変えてきた。
人口と同じ8400個(実際は10000個くらい集まったようだ)も等身大の町のお祭りとしては最高だと思う。
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うちの前の滑り台雪山にも、火事になりそうなほどキャンドルたちが集合。
映画、デカプリオの「ロミオとジュリエット」の最後のシーンもこんな感じだったな~。でも死ぬにはちょっと寒すぎる・・・・。60歳超級の弥生町じじ会(自治)の皆さん、燃え上がってましたよ~今昔の情熱が!!
益々どのジジ(自治)会も高齢化していくわけだが、”参加型の共遊”がこれからのキーワード。
凍てつく自然を生かした祭り楽しみであり、きっとあのジジ会の人たちも参加した人たちも笑顔で眠れているに違いない。
“やったぜ!!”と。関係者の方々、お疲れ様でした。

“ほんべつ”ロゴ大募集!!

ほんべつ町は開町110年を迎えましたそうです。パチパチパチ~。
そこで役場では、その新しき門出に”ほんべつ”のロゴを募集しているようです。
オリジナルならなんでもOK。
誰でも参加可能
景品はほんべつの黒豆をつかった”キライマメセット”
というより最大のプレゼントはこの世に”ほんべつ”をアピールできる総称的なロゴになること。是非貴方の手で!
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詳しくは役場HP⇒ポチ

本別町開町110年&ミッチェル交流

本別町は今年、開町から110年を迎えました。
110歳の誕生年を祝うという形で、町でセレモニーが開催。
関係団体や姉妹都市の方々がきました。
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その中でも、オーストラリア、メルボルン郊外のミッチェル郡という地区があり、この地域との人的交流が20年以上たった経緯があります。留学から帰ってきて、”本別国際交流協会”という会があることを知り、入会。
今年は、協会主催の”farewell party”の運営を手伝ったのでした。余興では長女も仲間と空手披露。はしゃぎすぎて、ちょっとまとまってなかったかな?
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皆アカペラで、”故郷”と”上を向いて歩こう”を熱唱。ホストファミリーと一緒にこれもまた良い思い出になるでしょう。
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10名のオーストラリア人が本別町の開町110年の記念式典に参加。
中でも、オーストラリア領事館からの両町の交流を好評する文章には驚きました。
さすが、海外?っていうか、粋な計らいをするのがオーストラリア。
誰も頼んだわけではないのですが、”良い交流はより良い交流のままで更に伸ばしてほしい”との意が感じられました。
交流協会の人間として、ほんべつ人として嬉しかったです。どうもあいがとうございました。
一行は、その後各自が、ホストファミリーに2泊3日の日程でホームステイ。
これが大好評なんですね。もちろん、言葉が通じないことも多々ありますが、この数字なさ加減も緊張感や新鮮さが生まれて楽しかったことでしょう。
本別からも、定期的に中高生の交換交流が続いていて、将来の人つくりや町つくりに貢献しそうです。
今年の秋にも訪問団が行くことになっていて楽しみが現在進行中なんですね~。
9月16日には、商工会主催の”夜デカケナイト”のお祭りでオーストラリアブースを設置。
現地のお土産をスペシャル価格で物販して、その売り上げは同じく姉妹都市の南三陸町の義援金に寄贈したのでした。
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田舎には刺激が必要?とは思ってませんけど、新たな出会いを求め、受け入れるのも町の良いところとなりそうです。
farewell party=さよならパーティってことだけど、マイクさんがいっていたように、”see you soon party” に帰るべきだなと思いました。ホストの方も協会の人も事務局の人も皆さんお疲れさまでした。
ミッチェルの皆さん、しーゆーす~~~ん。
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最高の運を踏みしめた茨木高校生

CCI20110922_00000.bmp9月12日、13日と大阪の茨木高校の生徒が「農村ホームステイ」として修学旅行の一環で本別町にやってきた。
家は4人の元気な女子達がやってきて、両親の家でワイワイやっていった。
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ここ2,3年、こうした農村での修学旅行生の受け入れが活発化している。
もちろん、事業自体が経済的な循環を生めばそれでいいのだが、受け入れ農家にその気はほぼないと思う。
農業をもっと一瞬深く考えてもらうチャンスとして、新たな出会いの場として、田舎ってこんな感じよというライフスタイルを知ってもらうのも一つ良いかもしれない。
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でもやっぱり人との出会いと交流がこの事業の最大の醍醐味であり、魅力となるだろう。
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料理も自分たちの手で、ホストと一緒にカレーを作ったり、作業をしたりと、たった一泊二日だけどお客さんというより、息子、娘や子供たちにとったら、お兄ちゃん、お姉ちゃんに新たに合う感じだ。
ノースプロダクションの近江さんの声かけから始まり、きっと受け入れ農家も修学旅行生たちもその意義を心に刻んでいると思う。毎回思うが素晴らしい体験ができている感じがする。
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本別でも、茨木高校の一クラスが10数戸の農家に分かれて滞在した。
残念ながら長らく続いた雨のせいで、予定していたイモほりや豆の収穫ができなかった農家も多かったのかもしれない。
天気の変化も、土の状態も変わる良い勉強の一つだ。
4人の子達が作ったカレーは最高に美味しかった。
何でも、茨木高校はかなりの文武両道生達がそろっているようだし、学校祭も超盛り上がる団結力ある高校に感じた。
皆、将来の夢をもっていることも素晴らしかった。高校のときなんか漠然としすぎてて、将来のことなんてたいして考えてなかった自分と大違いだなと反省させられたくらいだ。
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13日はちょっとだけ時間をとって、小麦の調整作業や小豆、大豆の生育。
従兄弟の牛や(酪農家)のところで、乳搾り体験。
それから堆肥散布の作業を手伝ってもらった。どうって?トラクターに実際のってもらって。
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もちろん田舎の高校生だって、車を運転することはそうそう?ない。
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大人になって、初めて自分で運転したのは、”トラクター!”なんていうのは逆にかっこいいかもしれない。
自慢してね。
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それから、昼ご飯も自分たちで母の管理する家庭菜園から、イモほったり、トマトとったりと楽しくやっていた。
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確かによくある観光地行くより、つらさがあったり、ぎこちなかったり、嬉しかったり、土の匂がしたり、堆肥であるウンが足底についたりとしたほうが良い思い出になると思う。
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また大学生になって十勝を訪ねてきてほしい。元気でね。